2019年07月05日

『なつぞら』からみる「北海道の酪農家の変遷」北海道通信 〜この先の『食と農と環境』の取り組みへ〜vol.15

2019年5月発行、AMネット会報LIM91号より

北海道通信 〜この先の『食と農と環境』の取り組みへ〜 vol.15

『なつぞら』からみる「北海道の酪農家の変遷」編                    白川 博   


北海道の白川 博です。今号は、【北海道の酪農家の変遷】編と題して、具体的な事例も交えお伝えできればと思います。まず戦後、北海道の酪農家がたどってきたこれまでの苦悩などについて報告していきたいと思います。


○ 戦後「なつぞら」時代の北海道酪農

 今春から始まったNHK連続テレビ小説『なつぞら』。

記念すべき100作目は、戦後の北海道・十勝の大自然で、まっすぐに生き抜いたヒロイン・なつの愛と感動のドラマとのことですが、「北海道の酪農家の変遷」も丁寧に描かれていると感じています。


ヒロイン「なつ」の同級生宅も牛1頭から始めたように、「酪農業」は、豚や鳥のような多頭飼育の経営スタイルではなく、1頭でも飼育して牛乳生産ができることから、どの牧場でも、搾乳牛は『家族』のように扱われてきました。


 『なつぞら』で、草刈 正雄さんが演じる「おじいさん」が自分の牛乳と他の酪農家の牛乳と一緒にされたくないと農協(JA)と反発するシーンは、私のまわりにいるたくさんの酪農家の共感と同時に賛否を呼びました。

本来、自由度が高い「個人経営」であるはずの酪農業が、農協だけに集荷を受けるのはたしかにおかしな話です。


 一方で、農協以外の集荷先である各「乳業メーカー」は、北海道のような広大な農地に点在する酪農家、一軒一軒に牛乳を集荷に回るだけでも大きな手間となります。


さらに、当時は酪農家と乳業メーカーの間で牛乳価格の「相対取引」も可能であったことから、商系メーカーから価格の「買いたたかれ」が横行しました。そのため北海道の酪農家は、営農継続がかなわず離農する農家もあるなど、大変不遇な時期がありました。


そのため、個人の酪農家が団結し、しっかりと「価格競争力」を持って、各「乳業メーカー」に対し生乳取引するため、農協が「一元集荷」などを行うことになりました。


そのことが結果として、現代の北海道酪農の『ブランドイメージ』を定着させたと評価する酪農家が多いことも事実です。半面、なつのおじいさんのような、個人の酪農家が持つ生産オリジナリティは、当時表現することが難しくなりました。


○酪農家のオリジナリティと北海道ブランド確立

 戦後の北海道酪農は、国(農水省)の農政誘導により、『大規模効率化』を優先してきました。

北海道の酪農家の多くは、メガ・ギガファームと呼ばれる大規模な搾乳機械及び周辺施設を、億単位の自己投資と国の補助事業により建設することを個人・法人経営を問わず選択しました。


 一方で、本当に自分のペースで酪農業を楽しみながら、かつ、牛乳の品質も最高峰のままで収益率も高い『小規模家族経営』の酪農家が近年、北海道内でも増えてきました。

前述の通り、当時の北海道は牛・馬を1頭から飼育して農業経営を始める方が少なくありませんでした。


行き過ぎた経済至上主義のレールに最初から乗ろうとしなかった草刈 正雄さん演じる「おじいさん」の勇気と苦悩が評価されるのはそれから四半世紀以上、先のことになります。

『不毛地帯』とまで揶揄された北海道の酪農地帯で当時、農家の団結を促し「価格競争力」を持って、商系の乳業メーカーとしっかりと対峙して、現在の日本酪農への安定生産・供給体制を確立したのは紛れもなく農協の力が大きいと感じています。


今も昔も、北海道牛乳の「クオリティ」は最高峰です。それは、酪農生産者の不断の努力の裏付けであることは言うまでもありません。
しかし、当時の酪農家の切実な「総意」として、品質保持の難しい牛乳の「成分特性」を活かした農協の『一元集荷・多元販売』という業界戦略によって確立してきた「北海道ブランド」があることもまた、事実です。
今後の『なつぞら』の展開にも目が離せませんが、ほどよいバランスで、農協や地域関係企業と共栄・共存を図ることも大切なのかも知れません。


posted by AMnet at 18:45| 北海道通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする