2009年11月23日

「ODA基本法」の始祖


11月13日に元参議院議員の田英夫さんがお亡くなりになりました。
特攻隊員だった経験から、平和の大切さを訴え続けられ、その実現に向けて政治家になられたと、多くのメディアで大きく報じられました。


田さんとは一度だけですがシンポジウムで同席したことがあります。
非常に物腰の柔らかい方で、一方で、発言される時には適確に言葉を選んで説得力のあるメッセージを発せられていたのが印象的でした。


田さんは元々、ニュースキャスターだったんですね。
後に筑紫哲也さんが務められた、主張を込めた報道番組を始められた先駆けだと。
どうりで言葉の選び方が鋭かったはずです。


平和関係の活動ばかりが取り上げられた田さんですが、国際協力の推進についても非常に熱心な方でした。
言葉だけで平和が実現するわけではない。
「途上国」の開発の問題にきちんと取り組むこと。
そのためには、日本のODA政策を確立することが大切。


日本がまだODA大国と呼ばれるはるか前の1975年に、「国際協力基本法(ODA基本法)」制定を訴え、自ら原案を用意されていました。
独裁者を助けたり、企業の利権の巣窟になったり、政治的に活用されることを禁じ、きちんと「途上国」住民の生活改善に資するODAとすることが肝要。
ODAに対する世間の関心は今でも決して高くはありませんが、はるかに低かった時代に、政治家らしく立法行為によってそれを律しようとされていました。


それから30有余年。
1990年代にはODA供与額世界一位であり続けた日本は、国内の財政事情を理由に、ODAを減額させてきています。
世界の貧困、格差の問題は依然として厳しく、21世紀の最大の課題であると国際社会では認識され、欧米諸国はODAを増額してきているにも関わらず。


改めて、田さんが始められた「ODA基本法」制定に向けて、歩みを進めていく必要性を痛感しています。
1990年代以降、NGO主体でいくつかの「ODA基本法」案が作られてきたし、私も関わってきました。


ODAの主役は受取国の地域住民。
そして、ODAの原資を供している私たち日本社会の住民には、ODA政策を律する権利と義務がある。


改めて「ODA基本法」についてふり返ってみると、現在、地元・垂井町で関わっている自治基本条例と似通っていることに気づきます。
地元地域のまちづくりも、グローバルな開発援助も、原則がなければうまくいかない。


立法府の選良を体現されていた田さんの遺志を受け継いで、
より良い国際協力の実現に向けて、
ひいてはそれが世界の平和に資するんだ、と。
「ODA基本法」について、関心持つ仲間を増やしていきたいものです。

posted by AMnet at 00:15| スタッフのつぶやき(神田) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする