2010年07月12日

ぜひ、見て欲しい、えぇ映画


 7月1日、神戸大学での『ミツバチの羽音と地球の回転』上映イベントに参加してきました。


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< ↑会場の様子 >



瀬戸内海の西の端に浮かぶ祝島の話を軸に進むドキュメンタリーです。
向かいの島の原発計画に翻弄され続けて27年。
平均年齢75歳という近未来の日本社会のような島の人びとが、
活き活きと描かれていきます。


場面は一転してスウェーデンに。
衰退しきっていたスウェーデン北部の村が、自然エネルギーの
徹底と、創意工夫を凝らした酪農で再生されていく物語が挿入されます。
再生のキーワードは「市場化」。
もっとも、英語では「re-regulation」と言われているので
「再規制化」とした方が正しいと、後で鎌仲監督も説明されていました。


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< ↑上映前に挨拶をする鎌仲ひとみ監督 >


終盤はまた祝島。
原発建設予定地の埋め立て工事に対峙する島の人びとが描かれます。
工事を強行しようとする中国電力の担当者。
懇願調で海上の漁民たちに話しかけますが、何とも高慢で失礼なこと。
なぜ、こんなことが起きるのか、は、
途中のスウェーデンの映像と対比することでよく理解できます。


最後に、小規模分散型のエネルギー供給の可能性が提示され、
偶然、そこにたどり着く島の反対運動のリーダーの姿が。


色んな種類の涙(嬉しさ、楽しさ、怒り、空しさ、可笑しさ、など)
が浮かんでくる映画です。
ぜひ、見て欲しい、えぇ映画です。
http://888earth.net/index.html


見終わってから、鎌仲監督らとのトーク・セッション。
会場からの質問、意見も活発で、話は尽きず、
終わったらトークだけで2時間半。
映画とあわせて5時間が過ぎていました。


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< ↑トークセッションの様子>


(神田)





< ↓おまけ >


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今回の企画を担ってくださった神戸大学国際文化学部塚原研究室の学生のみなさんと鎌仲監督
写っているのは終了後の懇親会で最後まで残ったメンバーだけですが、上映会には他にもたくさんの学生さんが運営にあたっていました。
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2009年11月23日

「ODA基本法」の始祖


11月13日に元参議院議員の田英夫さんがお亡くなりになりました。
特攻隊員だった経験から、平和の大切さを訴え続けられ、その実現に向けて政治家になられたと、多くのメディアで大きく報じられました。


田さんとは一度だけですがシンポジウムで同席したことがあります。
非常に物腰の柔らかい方で、一方で、発言される時には適確に言葉を選んで説得力のあるメッセージを発せられていたのが印象的でした。


田さんは元々、ニュースキャスターだったんですね。
後に筑紫哲也さんが務められた、主張を込めた報道番組を始められた先駆けだと。
どうりで言葉の選び方が鋭かったはずです。


平和関係の活動ばかりが取り上げられた田さんですが、国際協力の推進についても非常に熱心な方でした。
言葉だけで平和が実現するわけではない。
「途上国」の開発の問題にきちんと取り組むこと。
そのためには、日本のODA政策を確立することが大切。


日本がまだODA大国と呼ばれるはるか前の1975年に、「国際協力基本法(ODA基本法)」制定を訴え、自ら原案を用意されていました。
独裁者を助けたり、企業の利権の巣窟になったり、政治的に活用されることを禁じ、きちんと「途上国」住民の生活改善に資するODAとすることが肝要。
ODAに対する世間の関心は今でも決して高くはありませんが、はるかに低かった時代に、政治家らしく立法行為によってそれを律しようとされていました。


それから30有余年。
1990年代にはODA供与額世界一位であり続けた日本は、国内の財政事情を理由に、ODAを減額させてきています。
世界の貧困、格差の問題は依然として厳しく、21世紀の最大の課題であると国際社会では認識され、欧米諸国はODAを増額してきているにも関わらず。


改めて、田さんが始められた「ODA基本法」制定に向けて、歩みを進めていく必要性を痛感しています。
1990年代以降、NGO主体でいくつかの「ODA基本法」案が作られてきたし、私も関わってきました。


ODAの主役は受取国の地域住民。
そして、ODAの原資を供している私たち日本社会の住民には、ODA政策を律する権利と義務がある。


改めて「ODA基本法」についてふり返ってみると、現在、地元・垂井町で関わっている自治基本条例と似通っていることに気づきます。
地元地域のまちづくりも、グローバルな開発援助も、原則がなければうまくいかない。


立法府の選良を体現されていた田さんの遺志を受け継いで、
より良い国際協力の実現に向けて、
ひいてはそれが世界の平和に資するんだ、と。
「ODA基本法」について、関心持つ仲間を増やしていきたいものです。

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2009年11月09日

キリマンジャロの雪(1)


アフリカ大陸の最高峰・キリマンジャロの頂には雪があります。
ヘミングウェイの小説にもなったこの雪。
正確には氷河ですが、その氷河が急激になくなってきています。


100年前には12平方キロあったと推測される氷河が、2007年にはわずかに1.85平方キロに。
このままでいけば2022年には氷河が消失してしまうと、アメリカのオハイオ州立大学が予測を発表しました。


生まれて初めて海外に行ったのが、このタンザニアです。
そして、キリマンジャロの麓で4ヶ月ほど暮らしました。
富士山よりもはるかに雄大な独立峰。
晴れた日には頂上の雪まで望める中で、日々、仕事をしていました。


タンザニア・キリマンジャロは自分自身がいろいろなことを考えるようになった原点、出発点。
キリマンジャロの雪が消えるまでに、あんな話、こんな話。
大半は失敗談を、気の向くままに綴っていこうと思います。


(神田浩史)


キリマンジャロ山.jpg

<写真はタンザニア大使館ホームページより>

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代書屋


「代書屋」というのは今でいう司法書士のこと。
上方落語の逸品で、今の桂春団次師匠や故・桂枝雀師匠の十八番。
枝雀師匠の生誕70周年。
けど、そのチケットは早々に売り切れで手に入らず。


折りしも、春団次門下三番弟子の桂春之輔師匠が初めて「代書屋」を掛けるというので、天満天神繁昌亭夜席に初見参。
開演10分前にたどり着くも、何とか二階の座席にありつきました。


まずは春之輔門下二番弟子の咲之輔が「東の旅・発端」。
上方落語の初歩中の初歩のネタ。
けど、緊張感ありありで、活舌とテンポだけ頑張っている様は、結構きつい。
記憶が飛びかかった頃に、折りよく終演。


次いで一番弟子の壱之輔の「禁酒関所」。
まくらで咲之輔をいらいまくって、場をつかんでから噺へと。
間の良さ、声量の良さで、緩んだ寄席をキューっと引き締め、客を引き寄せます。
入門2年目の咲之輔に対して、13年目の壱之輔。
伊達に年季は喰ってません。


続いて、昼席で襲名披露興行を続けている三代目春蝶が登場。
父親は故・枝雀とともに上方落語の将来を担うと期待されていたタイガース狂の故・二代目春蝶。
親の七光りねたを長めのまくらに。
演じたのは「七段目」。
所作が難しい芝居噺。
故・桂吉朝直伝といういうには、まだまだながら、無難にまとめ上げ、襲名は噺家を大きくする?なんて、変に納得。


中入り前は漫才の横山たかし・ひろし師匠。
大看板の師匠ながら、いつも変わらぬホラ吹き漫才。
年配女性に大うけし、場内、爆笑の渦。
ちょっとたかし師匠の活舌が気になるも、前半ホラ吹きまくって、後半落としまくる、おなじみのパターン。


中入り後、笑福亭鶴笑の紙切り。
去年の6月、大阪・中之島公会堂でエコ落語をお願いして以来の再会。
その時も感じたけど、この人の場仕切りは天才。
場内を一瞬で鶴笑ワールドに染めてしまいます。
紙切りだけでみんなが大爆笑。
世界を股にかけて活躍されてるだけあります。


そして、いよいよ大トリの春之輔師匠。
まくら無しにいきなり「代書屋」。
今や上方落語の大看板の一人ながら、自分の師匠の十八番を演じる緊張感が伝わってきます。
丹念に春団次師匠の「代書屋」をなぞっていき、そのまま下げに。
春之輔師匠、上方落語の噺家さんでも一、二を争う男前。
けど、キャラは三枚目。
春団次師匠の華麗さをなぞるよりも、故・枝雀師匠ほどとは言わないまでも、もうちょっと独自の崩しが入った方が良かったのでは。
今後の展開に期待です。

(神田浩史)


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2009年02月21日

地名考


子どもの頃、よく父親の実家の農作業を手伝いに行きました。
手伝う、と言っても、農作業するのは専ら父親で、田んぼの周辺で遊んでいただけですが。


田んぼには、それぞれ名前がありました。
一つの田んぼを”オシロンジョ”、別の田んぼを”ハッコウデン”などと呼びながら、農作業が行われていたのをおぼろげながら覚えています。


旧村単位の中で、小字くらいの地名だったのでしょうか。
漢字でどう表記するのか、などを知っておくと良かったのに、なんて、今さら思います。


小字単位であっても、地名には土地の意味、歴史などが込められています。


地元で水環境について調べて回っています。
ため池、井戸、井堰、マンボなどを調べていくと、小字単位の地名に出くわします。水に関わるもの、土地の形状を表すもの、条里制の名残、など、想像をかきたてられ、さらに調べようという動機づけにもなってきます。


一定以上の高齢の方には小字名で通じることがありますが、それもほとんど難しくなっています。


構造改善事業で農地の形状が変ってしまった。
大規模灌漑事業で水の流れも変ってしまった。
半世紀前の過去の合併で旧村名までしか地名表記されなくなった。
理由はほかにもいろいろあるかと思いますが、いかにももったいない。


行政を効率化する。郵便を効率化する。農業を効率化する。
様々な効率化の名の下に、小さな地名が無視され捨てられてきました。
豊かな意味を持つ、地域の誇りにつながる可能性を秘めた小さな地名。
これにこだわることが、効率化を最優先してきた社会からの脱却を図る第一歩かと考えています。


余計に”オシロンジョ””ハッコウデン”がどうなっているのか気になります。


(神田浩史)


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